特定非営利団体法人シンクタンク京都自然史研究所
大正から昭和にかけて激動の日本を題材にした経済小説家城山三郎(1927年8月18日 - 2007年3月22日)の作品「鼠」に、主人公の一人である直吉が当館「銀水荘」のお客様であったことが記載されております。
文藝春秋社 昭和63年(1988年)刊 「鼠」より
いろいろな面から取材していて、わたしがおやと思ったのは、直吉が有馬温泉を愛して、晩年は毎日のように出かけていたという一事である。
だが、調べてみるとその温泉行きたるや尋常なものではない。
日曜をふくめて毎日3時か4時に神戸の事務所を出る。
神戸に居る限り、一日として例外はない。
はげしい雪で交通止めが予想されるときでも、「行ける所まで行ってみたい」という。
車には書類を積み、宝塚越えで有馬へ。当時は狭い悪路続き。
竹藪をかすめ、凸凹のはげしいところでは、天井に頭をぶつける。
それでも、直吉は知らん顔である。
彼が有馬行きを思い立ったのは、鼻の持病にラジウム泉が効くと聞いたためである。
直吉は医者のいうことだけは素直に聞いた。
それも、「お家再興」の大望のためだと思ったのであろう。
有馬の宿は、ラジウム泉の「銀水」。ただし、毎日、日帰りである。
大風呂に浸かり、鍋物や粥など量の少ない夕食をとる。
その後、11時頃まで書類を見てから、腰を上げる。車の中では高いびきだが、神戸の家に戻ると、また書類に向かって暁方の3時頃まで・毎日がその繰り返しであった。
「早くおじさん東京へいかんかな。体がもたん」と、従者が悲鳴を上げた。
わたしは有馬へも行ってみた。「銀水」は改築されて昔の面影はないが、当時女学生だったという内儀が、直吉のことを覚えていた。
「忘れられるものですか」といった感じであった。
この作品は、「鈴木商店焼き討ち事件」前後の鈴木商店経営を題材に、雑誌「文学界」(昭和39年10月号~昭和41年3月号)に金子直吉を主人公として連載されたノンフィクション小説です。
鈴木商店焼き討ち事件は、大正7年に発生した「米騒動」の事件のひとつです。